保育園卒園

コロナ禍で登園自粛あり、お泊まり保育なし、卒園式縮小などなど色んな制限があったけれど、例年の様子が分からない親子は楽しく園生活を遅れました。

先生方は代替行事を色々と考えてくれ、特別な思い出もたくさんできました。

3歳半から親子を取り巻く環境が変わっても本人や本人を見守る先生方は何も変わらず温かく支えてくれ、無事にみんなと卒園できました。

みんな式の間ずっと座っていられたこと、やることを分かって滞りなく式を進めていたこと、思い出を振り返る動画に、先生が読む園児一人ひとりの紹介にナミダナミダの式でした。

小学校からはみんな分かれてしまうけれど、物心つく前から過ごしてきたみんなとの出会いに感謝、世の中が落ち着いたらまた会いたいな。

とぅい慣らし保育

第三子とぅいが生まれて早10か月

コロナ禍で子どもが行くようなとこにはどこにも連れてってやれずというより第三子の宿命かゆっくりしようと思いながら生活に追われ頭頂部か額を時々見る(抱っこ紐に収まる)日々

最近会話できるようになり、愛着が湧いてきた

あ”~と言えばあーと返し

うんうん♪と言えばうんうん?と返し

声の大きいこと!ゆうにいやまてぃに負けじと声を張り上げる

これがかわいい

3歳のまてぃもこの頃ようやく話しかけたりとぅいの声におうむ返ししたり抱っこしたりかわいがり方が分かってきた様子

ゆぅにぃはまてぃが生まれた時もそうだったようにオムツ替えたり抱っこしたり面倒見がいい

もっともっと子どもと向き合おうと思っていたのに来月からは慣らし保育開始

休みのうちに遊べるだけ遊ぼう

決断 普通級か支援級か

コロナ禍で説明会も無くなり、保育園も療育も自粛となり

大人達はバタバタオロオロするばかり(私だけ?)

とぅいは月2回くらい熱を出し、療育はさらに休みが多くなった

でも

こども達は逞しく今日もエネルギッシュに生きている

ゆぅにぃにある時、ふと習い事するか尋ねると「ゆぅにぃは療育があるけん(しない)」と

周りもしとるしうちもさせてあげた方がいいかなとの考えは吹っ飛んだ

うちにはうちの余暇の過ごし方があるとスッキリ

さて

決断の夏はとうに過ぎ、普通級に通うことに決めた

小学校での見学(普通級と支援級)、保育園との面談、相談員・療育事業所のモニタリング、もちろん家族との相談を経て

一番の決め手はやはりゆぅにぃの意見

夫曰く、ゆぅにぃは大人の会話も聞き耳立ててちゃんと理解しとると思う

全てを分かった上での決断に優柔不断の私も納得できた

ただ、園の先生からの提案で就学支援シート(具体的には分からないが、本人の日中の様子や個別の対応の方法などが書かれているのだろう)は学校に送ってもらうことにした

自己紹介シートがあると、クラス分けや席順など何らか配慮があるやろうし、担任の先生も事前に見てくれるやろう(できれば前向きに迎えてほしい)と期待する

これを夫に報告すると「いいやん♪」と好意的で嬉しい驚き

私の母父にも普通級で行くと今日やっと報告。母は喜んでいた「喜んでいいか分からんけどやっぱり嬉しい、自制心がついてきたんかな」と。父は「ゆぅにぃもゆぅにぃ母も無理せんように、心配し過ぎんように」と。母は特別支援級に行くのはかわいそうとの考えを持っていると思っていたので普段はあんまりゆぅにぃの相談はせんけん緊張した。今回ちょっと誤解していたのは、母はゆぅにぃは周りの子と違うのに気付くやろうからその気持ちを思うと辛いということで、特別支援級に行く子全てがかわいそうというのとは違うということ。もっと相談できていたら、これからはしていこう。

後は放課後等デイサービスを確保したい。

令和2年度「就学説明会」資料https://www.city.okayama.jp/shisei/cmsfiles/contents/0000006/6720/000412083.pdf

※今年度の就学説明会はコロナの影響で全て中止となる。

保育園での様子②

ゆうにぃがまてぃと保育園に行き出して1年半。

まてぃの動きもだいぶ激しくなり、夜もだが朝がとにかくバッタバタ。

母がまだ寝間着スッピンでてんやわんやしよる間に(早起きして早く着替えればすむ話)2人とも家から出て隣の家に遊びに行っとることもしばしば(本人らはご飯食べて暇やし洗濯物干しよる物音が聞こえて朝の挨拶にみたいなノリ)。隣のおじちゃんおばちゃんにしばし見てもらいよる数分の間にダッシュで着替えて連れ戻す→怒る→着替えさす→車に乗せる→隣のおじちゃんおばちゃんにペコペコしまくりながら出発。

で、このままではいかんと重い腰を上げてスケジュール改革(大げさ)。

具体的にはゆうにぃに前の日の晩に次の日の保育園の準備をしてもらう。

その為にお支度ボードを作成する(字が読めないゆうにぃに絵心ない母のイラストで愛情アピール)。やることカードのことができたら“できた”マグネットを上に貼る。やることカードはとりあえず朝夜各5~6枚。これから様子見て増やしたり変えたり。

これは保育園の参観で色んなルールやスケジュールを写真、イラストで提示してあるのを見て作成を決心。保育園でできとるなら家でもしようと。

もう1つ、ゆうにぃとまてぃの保育園グッズと服の専用棚をリビングに設置する。母がめんどくさがりでしまいやすく、かつゆうにぃには全て見えた方が分かりやすいと思ったので棚にはカーテンや扉はつけず。まてぃも棚のものをポイポイ出さんなったし。

結果…

以前はやることカードのみで作るの断念していて機能していなかったが、“できた”マグネットを貼るのに見事ハマってくれ、継続中!

親子でボード見ながら順番に確認してったらいいだけなので、忘れ物とか怒ることが減るし、気分いい!母子のやりとり見て夫もすこーしだけ興味持つ!

まてぃも負けじと兄の真似をして自分で着替えしたり保育園バッグ持ち運んだり、お支度ボード作れ(マグネット貼りたいだけ)と言ってきたり!下の子の成長の早さよ!

以前にも増してゆうにぃがまてぃの世話をするように!ただ、だいたい拒否される…めげない兄はなんと優しいことか!保育園でも時々ゆうにぃはまてぃの教室に様子を見に行っているとのこと。たまには違う教室で遊びたいのが本音?

支度が早くできる日も増え、隣の家に遊びに行ける時間が増える!ふりだしに戻る…

生温かく程よい距離で見守ってくれるご近所さんに感謝。

就学説明会に向けて①・初受給者証更新

就学説明会ってどんな話をされるのか、どんなことを聞けばいいのか分からなかったのと、受給者証更新の手続きの為に、相談支援員の方に来てもらいました。

基本的に仕事の後に来てもらうとスムースにいったとて、相談員の方にはサービス提供時間外に来てもらうことになる。申し訳ないけれど、快く来てくださるのでありがたいです。

就学説明会で聞きたいことは少し事前にまとめていました。

1.小学校見学、情報収集(普通級・支援級の違い、各小学校の取り組み、今後のスケジュール)のしかた

2.普通級か支援級か、学校の選び方(それぞれのプラス面やマイナス面、学区が選択できるのか)

この時点では保育園卒園後のことは全く分からない状態でした。相談員さんは上記のことをそのまま聞けばいいと思いますよと優しく言ってくれました。些細なことで呼び出してしまったようですみませんと思いましたが、背中を押してもらえて緊張が解けました。

まだ不安だったので、説明会の日に同席をお願いしました。こちらも快諾してもらえました。どこまでが“相談支援”なのか分からないけど、何でも相談してみるもんやね。

更新の手続きは、相談員さんとの現況確認程度でしたが、計画内容が少し変わりました。

1.いつどこで意見書を書いてもらうか(受給者証取得の為に診断書を書いてもらった病院と現在通っている病院が違うため。通院中の病院で書いてもらうことに。)

2.支援計画の内容の確認(まだ療育に通ってからの期間が浅いため、計画・目標などは大筋継続で。小学校入学に向けて“保育所等訪問支援”を追記してもらう、ゆうにぃの療育は2ヵ所で受けているが、通院もしているところの事業所で。)

保育所等訪問支援とは…障害児が集団生活を営む施設を訪問することができるサービス

https://www.wam.go.jp/content/wamnet/pcpub/jidou/handbook/service/c078-p02-02-Jidou-09.html

もう小学校のことを考えんといかんのかと思いましたが、仕事の合間に見学や懇談、手続きなんかをしていこうと思ったらちょっとずつ進めていかな間に合わん感じです。

就学説明会

あけましておめでとうございます。

なんやかんやありまして、子どもと寝落ちしとる間に年が明けていました。

ゆうにぃの通う保育園からの案内か相談支援員の勧めか、昨年の夏、市教育委員会による就学説明会に申し込みました。

療育始まったばかりやし、まだゆうにぃのことよく分かってないし、普通級で行けるんやない?できれば普通級行った方がいい気もするし、職場にまた休みの申請するのは気が引ける(まだ年中組やのにとか言われそう)し…と消極的な考えが頭をぐるぐる。

でも岡山市の特別支援の枠組みやらやり方やらよく分からんのに何も決めれんわと思い、参加を決めました。

ところが、というかやっぱり、まてぃの水疱瘡で当日キャンセル…

重なりますな。少しホッとしてしまいました。

次月開催の就学説明会に申し込みました。また職場に言わないかんと思いました。強くなれ!

保育園での様子 ①

ゆうにいは11か月の頃から今の保育園に通っている(まてぃも同じ保育園)。

初日、部屋に入った瞬間から親元離れ、自然と先生やお友だちの中に溶け込んでいって、先生から「心配ないですね」と言われる。

翌週から昼までコースでご飯もよく食べよく寝てよく遊び、

母の方がゆうにいと離れる生活に慣れるのに時間が掛かる…(;o;)

初心者親子をまるごと受け止めてくれる、なんというかおっきくて温かい保育園で本当に甘えまくり。

親のリフレッシュのための利用も大歓迎。

ゆうにいの保育園の思い出

1~2歳の頃

*夏ははだかんぼで登園

服を着たがらず紙パンツで登園することしばしば。笑って迎え入れてくれる先生。

*一歳半健診で引っ掛かる

常にグラフの標準より下をいっていた身長、健診で大学病院での検査を進められる。遺伝やろと反抗しつつ、ほっといて何か言われてはイヤやなという小心者の母、かかりつけの小児科で相談することに。レントゲンの結果、骨に異常なし。

2~3歳の頃

*女の子にモテる

わんぱくでヤンチャでお調子者、イヤと言わないゆうにい。ご飯の時間は女の子たちが「ゆうにいはわたしの隣!!」と取り合いになったとか?!

3~4歳頃

*ようやくスタイはずれる

よだれの量が多く、1歳頃は一日10枚以上替えていたかも?スタイ重ね付けのオシャレさん。

最近のゆうにい

*紙パンツ持って行かんで

保育園ではボクサーパンツで過ごす。昼寝の時もほぼおねしょなし。信じられん。紙パンツは保育園バックには入れんで!!とまで言う。

しかし、休みモードのときは紙パンツ。めんどくさいのか心底ゆったりしたいのか、保育園行く前、帰った後、休みの日は紙パンツ履きたい。休みでも履かないときもある。トイレには行けるし、「おしっこうんちはトイレでしようね、一緒に行くから」って言うと「うん、分かった ^ ^ 」て答える。トイトレ終了は近くて遠い。

ゆうにい3歳児健診のあと、思ったこと

言語…視覚優位って言葉があるがゆうにいにはそういう感じはない。全く耳に入らない、聞き直す時も多々あるけれど、お話をすればだいたい理解してくれる。

運動…よくできる。

身体…身長低いけど親譲り。

精神…暴れん坊やな、人懐っこすぎやろ!赤ちゃん返り長いなってたまに突っ込む感じ。

周りの子も内容は違えどそれぞれにまだまだ手のかかる年頃やし、と、そんなに心配事なく、育ってきた。親のレベルも高くないから、ゆうにいに合わせて、よくいえばありのままを受け止めて来たのは良かったのかな。もちろん、周りの友だちや先生がおおらかに受け止めてくれたおかげ。

だから、3歳児健診の指摘(発達が心配)というのは驚きだった。あとは、小学校に入った時困るよって話も衝撃だった。もう、そんなとこまで考えないかんのや!と。

健診の後、朝の支度や保育園やお出かけ先からお家帰るまでにやりたいことからやるべきことに気持ちがなかなか切り替えれんかったり、掃除機やトイレのハンドドライヤーの音が苦手やったり(耳を塞ぐ)、痛みに強かったり、制服はおろかか服すら着るのを嫌がったり(紙おむつで登園はお馴染みの光景)、腹ペコでもご飯中ずっと座っとくんムリやったり、相手に断りなく肩に手を回したり遊びに加わったり、嫌なことあるとモノ投げて泣き叫んだり逃げたり…

とか振り返れば、これって発達障害っぽい?とかこれからはかわいいではすまされんようになるかも…ってちょっと不安になった。

それと同時にゆうにいが少しでもストレスなく小学校に行けたらいいなって思った。